「あがるまいと思うからあがる」
スピーチの際一番困るのはあがってしまうことです。
カーッとしてしまって、何を言ってよいか、頭の中がまったく空白になってしまって、言葉が全然うかんで来ない。足はふるえて来るし、汗はタラタラ・・・・
などと言う経験は一度ならず、どなたもおありのことと思います。
こう言う時に、あがるまい、あがるまい、落ち着け、落ち着けと、いくら自分に言い聞かせても効果がはありません。
では、どうすればよいのか?
最初からあがるまいと思わなければよいのです。あがって当たり前だと思えばよいのです。
話は脇道にそれますが、不眠症を直す一番良い方法は、眠ろうとしないことだそうです。
眠れなければ眠れなくても良い、人間の能力には限界があるのだから、いつかはくたびれていやでも眠くなると思って成り行きに任せていると、その通り、いつの間にか眠ってしまうそうです。
あがる場合にも、大勢の前であがったりしてはみっともない、だから絶対にあがるまい、と思っていると、余計に緊張をしてあがってしまいます。
どうせ自分はまだスピーチは慣れていないのだからあがって当たり前、恥をかくのも仕方がない、と腹を決めてかかると、あんがい何でもないものです。
「テーマを明確に」
何を話すか―――――まず、このテーマをはっきり設定することです。
そうすると、そのことを伝えるのに最もふさわしいエピソードは何か?それがおのずと決まってきます。
次に、そのエピソードを伝えるには、どういう方法が一番良いのか?明るく話すのがよいのか?深刻に話すのがよいのか?―――――話す方法を決めます。
ちょっと登山を考えて見て下さい。
誰でも、山に登る時、漠然と山に登ろうとは思わないはずです。八ヶ岳にしよう、乗鞍にしよう、穂高にしようと、目的を明確にします。
この目的が決まらなければ出発のしようがありません。
そして、目的地がきまれば、短期間で登るとすればこのルート、時間をかけて登るとすればこのルート、という具合に方法が決まってきます。
それに合わせて必要な準備はこれこれ。あるいは、どこの駅を何時に出発するという、行動予定も決まります。
スピーチもこれとまったく同様です。
目的を明確にしないまま、ただ、うまいスピーチを、といっても無理な注文です。
そうしたことは目的を決めた後の方法の問題になってくるわけです。
スピーチにとって何よりも大切なのは目的、つまりテーマです。
「話の組み立ては振り子の原理で」
テーマが明確になったところで、次に考えるのは話の組み立てですが、これは振り子の原理を応用します。
例えば、いくらテーマが「夫婦は思いやりが大切だ」ということに明確に決まったからといって、始めから終わりまでそのことを話していたのでは、スピーチになりません。
聞いている人の心を打つことにもなりませんし、第一、三分間ももちません。
落語では、どうするかということになるわけですが、一般的によく用いられる方法は、たとえ話を利用することです。
例えば、このたとえ話を、「お互いに病身の夫婦が、かばい合って幸せな生活を送っている」というもに決めたとします。しかし、ただこれだけでは、それだけの話に終わってしまいます。
そこに、先程の「夫婦は思いやりが大切だ」というテーマを持ってくれば、このエピソードも生き、また、テーマを聞く人の心にわかりやすく伝わる、というわけです。
このように、テーマとエピソードの間を、話を振って行くことで、スピーチは成り立ちます。
三分間という短い時間の中では、この”ふり”は一回ないし二回という程度でしょうが、よく講演などで、慣れた人の話を聞いたりしますと、この”ふり”を何度も使い、聴衆を退屈させずに最後まで引っ張っていっています。
その典型は、何といっても落語でしょう。